年を経るごとに一年を短く感じるようになるのか、それとも年ごとに慌しさが増しているのか。今年も最後のひと月、師走となった。窓辺に置いたシクラメン。別名を篝火草と。次から次へと蕾が伸び、花びらだけが上へ上へと上がりつつ開いていき、開ききったさまは炎の燃え盛るが如く。満開の花の下には、親が子を抱くように、小さな蕾が順番を待っている。
霜月11月も半ばを過ぎると、喪中はがきが届けられ、驚愕と落胆とが一度に押し寄せて心が締め付けられることもしばし。今年はなんということか、親が子を送るというはがきが続けざまに届いた。今夕届けられたそれは、まだ二十歳になったばかりの長女を送られたご両親の連名で。子が親を送るのは哀しみの最中にもどこかで納得でき得るもの。けれども、親が子を送る哀しみはいかばかりかと心中察するにあまりあって、かける言葉がみつからない。親の心の中には篝火のように子への尽きせぬ思いが燃え続けるのかもしれない。
冬の花、蝋梅の蕾が気になる頃に。蝋細工のような透明感、仄かに黄色の発色、円みがありながらも爽やかな香り。冬の枯れ色にあって、一点光を発しているような艶めき。今季もたくさんの蕾をみつけ、また寒気の寒々しさに、温かなひと時を迎えられそう。
葉陰に二つ揃っている様子は、相合傘の下の二人のようにも見えて、なんとも微笑ましくもあり。寄添うということは、互いに近づく気持ちが根底にあることの証明のよう。

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