初菊

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   月下美人の落花に沈んでいたら、小庭では今季最初の菊が開花。例年ならば、一番南側のものから咲き出し、順々に咲いて行くのに、今年はどうしたことか、一斉に咲こうとしているらしい様子がみてとれた。この白を初め、濃いめのピンクに薄めのピンク、赤茶のものと。種類の違うものは、いつもどおり、ゆっくりしていて。
   花は野にあるように。余程のことがない限り、小庭に咲く花を切ることはない。庭の花々を花瓶に挿して、室内に花を飾ることは一般的に行われることだけれど、なんとはなし、生あるものを何のいわれもなしに切るという行為が斬るに通じるような気がして、私は滅多にしない。花は野に在っての花が最も美しい姿だと思う。たとえ、光を求めるあまりに茎が曲がって育とうとも、そこに草が紛れ絡もうとも、枯れ葉がひとひらふたひら小枝にとまっていようとも、自然のまま、あるがままの姿が美しいと思う。花に逢い、和み、癒され、時に現実を知らされ、時期に咲く姿。季節は緩やかに確実に移ろい、こうして花を観ていると自ずと、人の心の移ろいも感じて。

コメント(2)

>花は野にあるように。
私も庭の花を切って飾ることはあまりしません。土からの栄養と太陽の光を浴びている時の花はあんなに生き生きと嬉しそうにありのままで美しく誇らしげに咲いているのに、花瓶に入ったとたん人のために咲いているように見えてしまいます。しかしそれはそれで美しさを以って私たちを慰め癒してくれてありがとう・・・という気持ちにはなりますが。。。
土に咲く花を見ると「ああ、かなわないな・・・」といつも思います。その美しさは、野のゆりを「栄華を極めたソロモンでさえそれほどにも着飾ってはいなかった」と聖書にも表現されているように自らはなにもせず与えられたままの姿です。風に吹かれ雨に打たれてうなだれてしまっても、次の日にはまた頭を持ち上げて太陽に向かっている花を見ると、そのしなやかな強さに憧れます。
そして時がくると枯れ、種をもって次へと繋いでいく。自らは土となり栄養となる。
(私は次の花を咲かせるよい土となれるのか・・・。)
「花咲き みのる 毎年の約束の不思議さよ」
土の歌の一節を思い出します。

naoさん、ようこそ。
造形の美を否定するつもりはないけれど、自然のままの、あるがままの姿が一番美しいと思えて。小庭の木々も花々も、基本的には必要最低限のことしかしていなくて。
しなやかさ。太くて丈夫そうな立派な木より、雨に打たれ風に吹かれてしなだれても復活する強さを内含する花の方が、強いんじゃないかって。先日教えていただいた「土の歌」。読み返すたびに唸っちゃう。凄い歌だよねぇ。さらりと、とんでもなく深く重たいことを言ってのけちゃう。突き放されたようでいて、立ち止まって考える時間を与えてくれていることに気づかせるような。「私は次の花を咲かせるよい土となれるのか・・・。」よい土になれるのかと案ずるよりも、時期に一所懸命に咲く。そして一所懸命に咲けば、きっとそうなるという望みを持って。今のあるがままの姿が一番美しいのだから。
コメント、ありがとうございます。嬉しかったです。

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このページは、Malyrineが2008年10月29日 12:58に書いたブログ記事です。

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