冬の花、蝋梅の蕾が気になる頃に。蝋細工のような透明感、仄かに黄色の発色、円みがありながらも爽やかな香り。冬の枯れ色にあって、一点光を発しているような艶めき。今季もたくさんの蕾をみつけ、また寒気の寒々しさに、温かなひと時を迎えられそう。
葉陰に二つ揃っている様子は、相合傘の下の二人のようにも見えて、なんとも微笑ましくもあり。寄添うということは、互いに近づく気持ちが根底にあることの証明のよう。
冬の花、蝋梅の蕾が気になる頃に。蝋細工のような透明感、仄かに黄色の発色、円みがありながらも爽やかな香り。冬の枯れ色にあって、一点光を発しているような艶めき。今季もたくさんの蕾をみつけ、また寒気の寒々しさに、温かなひと時を迎えられそう。
葉陰に二つ揃っている様子は、相合傘の下の二人のようにも見えて、なんとも微笑ましくもあり。寄添うということは、互いに近づく気持ちが根底にあることの証明のよう。
午前中はなんとか明るさがあったけれど、午後になると、今にも泣き出しそうな空模様。空を仰ぎつつ表に出れば、今、まさに花の一枝を手折ったばかりの老女がひとり、目の前に。そこは確かに我が家の敷地内であり、私と眼が合ったのにも関わらず、弁解のひとつもないまま。咄嗟に口にしたのは「お花を取らないでください」無言のまま老女はゆっくりと背を向けて何事もなかったかのように歩いて行った。
枕草子の時代にも花盗人は居たようで。古人も今の人もあまり違いはないらしい。花盗人には寛容にとも思うけれど、盗み取った花を愛でて心は痛まないのだろうかと。花を取られたことはもとより、そんな心を持つ人の心が寂しい。
おそらくこれが最後の一種類であろうと思われる濃い目の赤紫色の菊。朝晩どころか日中でも寒さを覚えるこの頃、ようやく開花の運びに。
海の向こう側では大統領選挙が行われ、歴史的勝利と謳われた47歳の上院議員が新大統領に決まって早1週間。海のこちら側では足元の漣が大波となって、その後対岸のことは報道すらされないらしい。
花の色に違いがあっても花は花。人の肌の色に違いがあっても人は人。黒人初のと敢えていうことがそもそも差別的な視点ではないのかと。
花磯菊。元々は磯と名前に付いているように、海岸に自生する磯菊の改良品種といわれている。磯菊はこの花磯菊にある白い舌状花という花弁がなく、とても素朴な感じのもの。縁取りのように白い花弁を周囲に纏っただけでこんなにも愛らしくなる。
菊の栽培といえば、菊花展に観る豪華絢爛な大輪の花を咲かせる大菊があり、「厚物」、「管物」、「広物」と呼ばれるものや、嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊、江戸菊といった古代菊があり、小菊あるいは山菊と呼ばれる小ぶりのものなど種類はとてもたくさんある。技術の粋を生かしたそれらの見事な菊の造形は真に素晴らしい。
それらの菊は気品がありすぎて近寄りがたいけれど、、同じ菊とはいえ、小庭の菊はとても親しみがある。気取りのない、あるがままの姿で必死に咲く姿を見せてもらう。身の丈にあっていて、ひとつひとつが愛しくて。寄り添い、語らう景色は秋の宝物。
満開に咲いた姿を見頃とするのもいいけれど、蕾から僅かに開きかけた姿もまた見頃とするのもよいのではないかと。満開を花の極みとするならば、極みに向かって行こうとする過程の姿は、なんとも健気で、内なるエネルギーを秘めている。昇華へ向けた一心の姿はひたむきで気高くさえある。この状態もまた美しい。
県西に住む友人から山の紅葉が始まって美しいとの便りが届く。このところの朝晩の冷え込みは12月初旬を思わせるほどで、木々の葉の色を赤色に黄色に変化させるには好条件。今日は雨模様のお天気で気温も一段と下がっているので山の景色に一層の変化をもたらしているのであろう。
移り行く木々の葉の色、蕾から満開へと移行する花。季節は確実に秋本番へ。色とりどりの錦秋へと向かっている。