2008年11月アーカイブ

寄添う

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roubai200811188188.gif 冬の花、蝋梅の蕾が気になる頃に。蝋細工のような透明感、仄かに黄色の発色、円みがありながらも爽やかな香り。冬の枯れ色にあって、一点光を発しているような艶めき。今季もたくさんの蕾をみつけ、また寒気の寒々しさに、温かなひと時を迎えられそう。

 葉陰に二つ揃っている様子は、相合傘の下の二人のようにも見えて、なんとも微笑ましくもあり。寄添うということは、互いに近づく気持ちが根底にあることの証明のよう。

 

息吹

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tanpopo200811188187.gif 天気予報のとおりに午後は雨。

 石畳の合間に、僅かの隙間をみつけた蒲公英が芽吹き、花を咲かせている。雨に打たれても、冷たい雨に打たれても、寒い風に吹かれても、じっとその場に居て、圧倒的な力強さを誇示する。小さな存在の中にある大きな生命の息吹。

 大きな国の招いた混乱の影響が津波のごとく、この小さな国にも押し寄せて侵食っされていき。大海原を漂い、関わる国々の足元を濡らしていく。大地に根を張るということが難しくなっている。どんな状況であれ、生きるということを蒲公英に教わるよう。

到来

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kiku200811208200.gif 立冬を11月7日に迎えているのだから、暦の上ではもう冬の扱い。今は初冬と。冬なのだから寒くなるのは当然なのだけれえども、今朝は今季初めて寒いと感じた。最低気温5℃。いよいよ冬の到来と実感した。

 時間が経つにつれ、どこまでも青く澄んだ空に明るく降り注ぐ陽射しは温かなぬくもり。小鳥が飛び交い、穏やかに時が流れて。

 陽だまりでは、小菊が花を咲かせていた。太陽からの贈り物を全身に受けて。

五感

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kiku200811138166.gif 公園の欅の葉が色づいていた。幹に近いところはまだ緑色をしていて、少しずつ色を変えて、黄色を帯びたものから黄色へ、そして赤みを帯びた明るめの赤茶色、枝の先端はすでに茶色になっていた。梢を仰いでいると、乾いた音が耳に聞こえてきた。公園内を歩くひとの足元には枯れ葉がたくさんあり、一歩踏みしめるたびに音がしていた。

 昼間は20度近くまで上がったけれど、夜にはどことなくひんやりした空気。晩秋は色と音と温度で、目と耳と肌で感じる。五感にはあと鼻と舌が必要か。食欲の秋ゆえに問題はなさそう。

               老師の月命日は晴れ。

内含

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kiku200811108157.gif 

 

 これから咲こうとする花に見る、生の息吹。

 盛りを過ぎ、萎れ、枯れの変遷をたどる花にも

 生の持つ力はある。

 時期と時季と時機とがひとつの花に内含する。

花盗人

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kiku200811148183.gif 午前中はなんとか明るさがあったけれど、午後になると、今にも泣き出しそうな空模様。空を仰ぎつつ表に出れば、今、まさに花の一枝を手折ったばかりの老女がひとり、目の前に。そこは確かに我が家の敷地内であり、私と眼が合ったのにも関わらず、弁解のひとつもないまま。咄嗟に口にしたのは「お花を取らないでください」無言のまま老女はゆっくりと背を向けて何事もなかったかのように歩いて行った。

 枕草子の時代にも花盗人は居たようで。古人も今の人もあまり違いはないらしい。花盗人には寛容にとも思うけれど、盗み取った花を愛でて心は痛まないのだろうかと。花を取られたことはもとより、そんな心を持つ人の心が寂しい。

花色

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kiku200811138167.gif 真上を向く花に午後の光は真横から射していた。花弁の裏側までも陽に照らし、あるがままの姿は凛として。

 この黄色は、伝統色でいえば、中黄か、向日葵色といったところ。花の色は実に多種多様で、少し前までは不可能の代名詞でもあった青い薔薇までがほぼ可能になってきて、今では花色は自由に変えられるといわれるほど。

 科学技術の進歩で恩恵を受けることは多い。けれども、花色を自由に変色できるようになったとしても、天然の色が基になっているということをきちんと覚えておきたい。光によってより鮮やかな花色のなんとも美しいこと。

秋澄む

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kiku200811138165.gif 

 

 久しぶりによく晴れて暖かな一日。

 空は青く澄んでいて、心地よかった。

 満開の菊も秋の陽を受けて、嬉しそうに見えた。

 

視点

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kiku200811108143.gif おそらくこれが最後の一種類であろうと思われる濃い目の赤紫色の菊。朝晩どころか日中でも寒さを覚えるこの頃、ようやく開花の運びに。

 海の向こう側では大統領選挙が行われ、歴史的勝利と謳われた47歳の上院議員が新大統領に決まって早1週間。海のこちら側では足元の漣が大波となって、その後対岸のことは報道すらされないらしい。

 花の色に違いがあっても花は花。人の肌の色に違いがあっても人は人。黒人初のと敢えていうことがそもそも差別的な視点ではないのかと。

魔性

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KIKU200810308105.gif ほとんどいっていいほどに興味はないけれど、今シーズンだか来シーズンは赤い口紅が流行るらしい。口紅というのだから、赤でいいじゃない?などと見てもいないテレビに言うでもなしにアイロンがけ。

 小庭では今季この枯れた朱色のような赤系が初めて群生した。これまでは小庭の片隅に、ひとつふたつ申し訳程度に咲いているのを見かけてはいたけれど、こんなに咲くようになるとは思いもしなかった。

 思いがけないことというのは、おかしみであったり、驚きであったり、喜びであったりをもたらして、いつしかそれに馴染んで行く。枯れた色合いには、時間を超越して瞬時に馴染む魔性が潜んでいるのかもしれない。

語らい

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kiku200811108147.gif 花磯菊。元々は磯と名前に付いているように、海岸に自生する磯菊の改良品種といわれている。磯菊はこの花磯菊にある白い舌状花という花弁がなく、とても素朴な感じのもの。縁取りのように白い花弁を周囲に纏っただけでこんなにも愛らしくなる。

 菊の栽培といえば、菊花展に観る豪華絢爛な大輪の花を咲かせる大菊があり、「厚物」、「管物」、「広物」と呼ばれるものや、嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊、江戸菊といった古代菊があり、小菊あるいは山菊と呼ばれる小ぶりのものなど種類はとてもたくさんある。技術の粋を生かしたそれらの見事な菊の造形は真に素晴らしい。

 それらの菊は気品がありすぎて近寄りがたいけれど、、同じ菊とはいえ、小庭の菊はとても親しみがある。気取りのない、あるがままの姿で必死に咲く姿を見せてもらう。身の丈にあっていて、ひとつひとつが愛しくて。寄り添い、語らう景色は秋の宝物。

過程

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kiku200811058128.gif 満開に咲いた姿を見頃とするのもいいけれど、蕾から僅かに開きかけた姿もまた見頃とするのもよいのではないかと。満開を花の極みとするならば、極みに向かって行こうとする過程の姿は、なんとも健気で、内なるエネルギーを秘めている。昇華へ向けた一心の姿はひたむきで気高くさえある。この状態もまた美しい。

 県西に住む友人から山の紅葉が始まって美しいとの便りが届く。このところの朝晩の冷え込みは12月初旬を思わせるほどで、木々の葉の色を赤色に黄色に変化させるには好条件。今日は雨模様のお天気で気温も一段と下がっているので山の景色に一層の変化をもたらしているのであろう。

 移り行く木々の葉の色、蕾から満開へと移行する花。季節は確実に秋本番へ。色とりどりの錦秋へと向かっている。

花野

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kiku200811018111.gif 春の七草は言えるのに、秋の七草はどうしたものか、覚えられない。気になるたびに調べては、あぁそうだったと。萩、尾花(薄)、葛、女郎花、藤袴、桔梗、撫子。特段どうということもないのに。これは単に私に記憶する力が乏しいということなのだろう。

 春の七草は七草粥にして食す習慣があるけれど、秋の七草は食べるのではなく愛でる。秋の野原に野の花が咲き乱れる光景を花野というそう。秋の気候はなんとはなしに感傷的にさせられてしまいがちだけれど、野に咲く花を愛で、物思いにふけるのも秋の過ごし方のひとつかもしれない。

不揃

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kiku200810308108.gif 朝方まで降っていたらしい雨は子供たちが出かけて行った後に止んで、お昼前には秋空が広がっていた。思っていたより暖かく、昨日強く吹いた風の足跡が小庭に、路面に残っていた。色変わりした葉や折れてしまった小枝がところどころに落ちていて、雨に濡れて寂しげ。そこに陽が当たり、かえって寂しさが増していたような。

 良かれと思ってしたことが返って逆効果ということはたまにある。気づかなければ、自己満足で済ませることができるけれど、気づいたあとのやり場のない後悔。挙げた手を下ろしそこなってしまったように。不揃いな花びらの並びを観ていたら、思い通りとは自己満足でしかないと。

受容

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kiku200811058131.jpgのサムネール画像 小庭に咲く菊は一重のものが圧倒的に多かったのだけど、今季はこの白の八重咲きが一大勢力となっている。例によって蒔いたわけでも植えたわけでもなく、どこからかやってきてくれたもので、ここを気に入ってくれたらしい。
 かつては花は一重に限ると思い込んでいたけれど、こうして圧倒的な美を見せ付けられると、これはこれでいいのかもしれないとかつての独断をどこかへ仕舞うことに。
 そういえば、以前はあまり好ましく思えなかったものであっても、時を経て感覚に変化が現れたのか、はたまたこちらの受容容量が増えたのか、寛容になれたのかはわからないけれど、受け入れられるものが増えてきたように思う。そういう意味では、花に限らず、他のものも多少は受け入れているような。もっとも相変わらず、食べ物の嗜好に変わりはないけれど。いまだに烏賊や蛸、辛いものは苦手。カライと書いてツライと読んでしまうくらいに。これらは当分受容できそうにない。

視感

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kiku200810288104.jpg
   目の前にしていながら、そのものを観ているのではなく、そのものを見て、そこから派生したものを視ているときがある。目の前にあるものをみるという行為自体に集中していないときに多いか、あるいは色や形、みているときの思いが別の思いを呼び起こしていて、目の前にあってそのものをみているようで思考は別のところにあるような。
   また初めてみたはずなのに、既視感(デジャヴ)を感じたり、見慣れているはずなのに初めて見たかのような未視感(ジャメヴ)を感じたりする。
   ものをみつつ、何かべつのものを思う時、自己を別の視点からみれば、ひとの行為と心理とは必ずしも合致しないこともあると小菊をみながら思う。もっとも私の場合、単に濃いめの黄色の服を着ると膨張してみえた以前の記憶から、なんとはなしに黄色そのものを避けているだけかもしれないけれど。

自生

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kiku200810288102.jpg
   ほんのり、仄かに薄紅を沁み込ませた景色。種を蒔いたわけでも、挿し芽をしたわけでもなく、いつからか小庭で咲いてくれるようになったもののひとつ。花びらの先が丸みを帯びていて、この薄紅の色具合と相まって、とても愛らしい。幼い子供が顔を寄せ合って話しているようで、可愛いらしい声さえ聞こえてきそうな。どこからから訪れた天使のささやき。
   小庭の花にはあまり手をかけていないので、光を求め、居心地のよい場所を求めて、茎がまっすぐに伸びているものばかりではない。中には不思議なほど曲がりくねったものさえある。それでも花は時期が来れば咲き、盛りを過ぎれば、自ずと枯れて行く。自生の花の凄みは、それらを自然の中で自力でやっていること。しなやかなものにはおどろくほどの強さを内含している。花も、ひとも。

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