2009年4月アーカイブ
小庭では大紫躑躅が満開。長閑な春日をのんびりと眺めているうちに、メキシコ発の豚インフルエンザが瞬く間に世界中に広まって、危険度はフェーズ3からフェーズ4へと引き上げられた。そして同時に新型インフルエンザへと変貌した。
人から人へ感染するレベルとあっては、今空港や港での水際での警戒は必須。必須ではあるけれども、それで十分なのか。また通常のインフルエンザ同様に、自己防衛に関しては、手洗い・うがいの敢行とマスクが効果的とのこと。弱毒とはいえ、すでに死者も出ている状況。必要以上に騒ぎ立てることもないが、無防備な報道陣や観光客を目にするたびに、それらのひとびとが媒体とならないことを祈っていた。目に見えないものは怖い。
小庭では躑躅が満開。陽が射したり翳ったり。一昨日いきなり前日比7度、体感的には10度くらいは下がったのではなかろうかと思われるくらい肌寒くさえ思われた日から少しずつ気温も持ち直し、今日はようやく20度に。
春の花は蕾の時には色濃くて、花の盛りには淡くなるような気がして。見て、見てと訴えるかのように次から次へと花開いていく躑躅のピンク。万葉の頃から親しまれ、平成の時代にも花開き。花が連なる、筒のような花と、名前の由来はいくつかある。花言葉は「努力、訓練、自制心、制約」と。「美しい、優雅」の意を持つ学名と違って、花言葉はいささか耳が痛い。渋々ながら、今日も草取り。これも何かの訓練になるのであろうか。
市内の海沿いの場所では25.8度を記録した。4月もようやく半ばになろうという時期なのに、春を越えて初夏の様相。外に出てみれば、確かに夏のそれめいていて、草取り断念。元来の出不精が真価を発揮して、こんな日は家で大人しくしていた方が無難と終日篭る。花ならば、この雪柳のように、小花が集結していても愛らしいけれど、街は人、人、人。そうなると、気ぜわしさが先に立ってどうにも落ち着かない。室内の鉢植えに手を入れて、陽だまりの中で過ごす。外で忙しく動き回る人にも、こうして家でぼんやり過ごす人にも、同じ速さで時が流れていると思うとなんだか不思議な気さえしてくる。
ミサイル議長声明で落ち着くらしい。
所詮、落下への恐怖はこの国だけ。
同調を求めるのはそもそも無理なこと。
決議のために頑張っていた代表者の心の内はいかに。
公園で出会った犬。向かって右側の大きなワンちゃんは、体重59kgあるそうで、我が家の初老犬よりも40kgも重い。道理で遠くからでも大きく見えたわけで。近づいてみて、ん?なんだか辛そうな目つきに思えて、飼い主の方にお聞きしてみれば、花粉症とのこと。写真を撮らせていただいた直後、くしゃみを連発。撮影の間だけ我慢をしていてくれたのかと思えるほどのタイミング。フォトジェニックなる所以はそんなところにまで気配りができるのかと思わされてしまったワンちゃん。
家の中を縦横無尽にウロウロする我が家の犬も、1匹でいる限りでは中型犬とはいえ少々お邪魔な感もあるほど。右側のワンちゃんと並んだならば、さしずめ左側のワンちゃんくらいの大きさに見えるのかもしれない。小型犬流行の昨今なので、大きめのワンちゃんに出会うと、なんとはなしに気になって、犬嫌いの私でも自ら近づいて、寄ってみたくなる。隣の芝生は青く見えるもの。所詮犬は犬。そうは思ってもお他所の犬は妙に可愛く思えて。帰宅して、玄関で帰りを待っていた我が家の犬を見るなり、ごめんねと言っているわが身の感覚は、多少なりとも犬嫌いを克服しつつあるのかな。ペットは愛玩。私にとっては、犬の目こそが愛眼かも。
ネットのニュースを眺めていたら、自殺を図る若い男性の大半は8歳の時に重度の情緒的兆候が現れているという記事。ちなみに女性の場合は思春期以降とのこと、男女の差異は往々にしてあり得るだろうから、その違いは問題ではないにしても、8歳というその年齢に驚く。日本でいえば、ようやく小学校も2年生。早生まれの子であれば3年生といったところ。その頃に破壊的な気質や攻撃性、残虐性といったものが現出しているといわれるとか。昔、ガキ大将と呼ばれていたような子供が大人になって、とても腰の低い人になっていたりすることもあるだけに、その見極めは大変そう。イマドキの子供たちはすでに電脳化されている環境なだけに、豊かな情緒を育てるというのも難しい面もありそうで。それを教えるであろう教師は、一生ものであったはずの免許が更新制になり、保護者は子供と向き合う時間も少なくなっていて、子供も大人も余裕がない現状。子供自体の数も減少傾向とあって、ちょっとした接触や摩擦に過敏になりすぎて、萎えてしまう子もいたりする中で、ちょっとでも攻撃的な面がみられると、要注意人物とみられてしまいそうで、それはそれで危険な様相ではないかと思うのは老婆心か。
花一輪に歩を止めるくらいの、ゆったりとした時間と気付く感性。それらは大人も子供も必要。もっとも今の時期では、桜はお花見ではなく宴会をするものとして子供の目には映ってしまうのだろうけれど。
染井吉野の咲き乱れ。同じ公園内には、割と大きな紅枝垂。吹く風に揺られながらも、花の宿命を背負い、咲くことを全うする。
今春は桜の開花期と入学式の時期が見事に重なって、晴れの舞台に相応しい。文字通り、新しい生活の門出に花を添える形になった。
枝垂れの形は、一見すると儚げではあるが、撓るということは芯の強さがなくては叶わぬこと。折れやすい心を持つひとが増えている中、しなやかに強かに吹く風に身を任せつつも己の道を進むことができるよう、花を観る目で新生活を観て行きたいと思う。
4日の2度にわたる誤報。この国の危機管理能力を知らされた。5日の衛星という名のミサイル発射。北の成功、他国の失敗。観る位置による意識の差異。新たなる模索の始業。
今日も観桜。二日続けてのお花見。今日は近くの大きな公園まで。こちらは7000本の桜があり、桜山と呼ばれる、この時季には全体が文字通り桜色に染まる桜山がある。数年前まではあまりに高いところで咲いていたため、しばらく敬遠していたのだけれども、満開の今、見頃とあったので久しぶりに。以前とは違って、かなり手を入れられていた。病気療養中の木への注意書きがあったり、桜花を眺めるにほどよい高さに調整され、それでいて、自然美は生かされていて、作りこみすぎていない。これで木の下での宴がなければ、静かに花を愛でられたであろう。悲いしいかな、桜と宴は今年もまた脈々と続けられている。
喧騒を離れて、目の高さで咲く花と対峙して、貴女はここでよかったと心の内で花と交信した。
