俄かに秋から冬へと移行し始めた昨今。寒いという言葉が相応しい日和の中、梅雨時から咲いている日々草が寒気に耐えていた。
花は咲くために生まれ、生きながらえて、その生を全うするものだけれど、弱音ひとつ吐かないその姿は健気そのものだった。
手をかけてあげられずに、同じ鉢の中で名も知らぬ草との共存を強いられても尚、咲くという一事を万事として受け入れている。花は存外、強さを内包しているのかもしれない。
空、燃ゆる。秋は夕暮れと古人は綴っていたけれど、今日の夕陽は空が燃えていた。惜しげもなく朱を染め抜いたその色に広がりに息を呑む。
一日の終わりを感ずる夕陽の鮮やかさに昼間の嵐を忘れさせられた。自然の色の圧倒的な強さに打たれる夕焼けの紅さ。
新型インフルエンザが来宅し、1日が終わる。
小さな白い花びらのあるものを花磯菊、小さな黄色の花びらのあるものを里磯菊、花びらのないものを磯菊と。
似て非なるもの。それぞれの花にそれぞれの名。それぞれの一生。
花びらの表と裏で色の濃さに違いのあるものがある。表側は淡い薄紅色で、裏側は濃い臙脂色。
この花を観ていると、関東で言う裾回し、関西で言う八掛を思い浮かべてしまう。小粋な遊び心に光りが射して。
枯れ色を迎えても、花は花。
傍らの、これから咲こうとする蕾と、
咲き終わりの時を待つ花と。
ひとつの命が終わり、ひとつの命が生まれる。
静かなる命の連鎖。
なぜかしら昔から、一重の花に惹かれる。
菊花は午後の光りのこちら側で静かに花びらを開いていた。微かな紅色を白き花びらにひそませて、近づいた者にのみその色を知らしめる。濃い緑の葉々はしっかりと傍に寄り添い、護衛のごとくその花を護っている。
重なり合う花びらの合間からその下にある花びらを覗かせて、光りを分け合うようにして、花の命を紡いで。光りがあり、影があり。
それぞれの立ち位置で。
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