
気にはなっていたけれど、気ぜわしさに観るのを忘れていたら、蕗は静かに育っていた。ふきのとうはすでに跡形もなく、花を開かさんとばかりに。中には気の早いものもあって、すでに花と化しているものさえあった。時間がないだの何がないだのと口実をつけていた自分が情けないやら恥ずかしいやら。植物は無言のままに、冬を感じる前には冬支度をし、時期を感じては春の準備をしている。自然に生きるとは、時に流されるのではなく、時と向き合うこと。時期に応じて対応するということ。花が時季に咲くということは、下準備からきちんと用意がなされていてこそのもの。花が咲いた咲いたと喜ぶだけでは失礼この上ない。とはいえ、こうしてじっと眺めていると、やはり、春だ春だと思ってしまうのも実際のところ。
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